我が家、在米満二年を迎えました。そこで、教育の専門家でもなんでもない、ただの親の目線で見たアメリカと日本の教育の違いを纏めます。アメリカの方がいいとか、日本の方がいいという話ではなく、ただ、「へーこうなんだな」って思ったことです。
三年目はどう思っているか、比べられるように、これを機にまとめておこうと思います。
1. 算数とMathの違い
基本を繰り返す算数と、どんどん進むmath。足し算の時点でその違いは明確でした。20以下の足し算の正確性、スピードをひたすら追求する算数に対し、mathでは、足し算、引き算をセットで、日本で言う確かめ算も同時に、どんどん進んでいく。筆算も早々に始まります。掛け算と割り算もセットでした。
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その勢いは、3rdの分数の掛け算(分数*分数)まで続いています。
最近、さすがに親が少し補助する機会が出てきて、日本ではどう教えるのかな?と、教科書を見てみたら。。びっくりすることに、「なぜ?」部分が、結構薄くて、ひたすら型を教えてる!で、新たに気づいたことは、算数は、「型が体に染み込んだ上で、後から、理屈を理解できればいい」という進み方なのだなと。これ、子供が理解するうえでは、とても、効率的だと思うんですね。
一方、mathでは、意外と、「なぜ」の部分を繰り返す。理解の早い子は、いいんでしょうけれど、そうでもない場合、理屈と型がどちらもなかなか理解しきれず、理解しているような、していないような・・・を繰り返し、型が身に着くまでに時間がかかる・・・。気がします。
アメリカ社会で活躍するアジア系の影響で、アジア的算数センスを見直している人々もいると聞いていて、なんとなくその話に通ずるものがあるなと思いました。
2.理科社会:ダイナミックに始まるアメリカと身近なところから広がっていく日本
理科社会は、キンダーから始まるので、圧倒的にアメリカが早く始まります。理科は、ダイナミックに宇宙や地球規模から。そして、社会は、身近なところよりも先に、アメリカの象徴的なシンボルや歴史から。愛国心を高めるためかなと感じることもあります。
一方で、日本は、身近なものを題材に、自分で調べる、纏めるという訓練を重ね、先々の科目教育に繋がる基本的学習姿勢を学んでいるとその意図を理解しています。そして、三年生から一気に科目らしくなっていく。両者の違いがとても興味深いです。
この2年間は、このスピード差に助けられ、とりあえず日本の理社(生活科)の存在は、捨てていられたので有難かったです。が、3年生からどうしようかなぁ・・・と思っています。
3.プライズが当たり前は学校生活
日本のお母さんたちの間で、「アメリカの学校はプライズがあって、とっても楽しそう!」って好評なんですが、私は結構疑問視しているタイプで。とにかく、「人にやさしかったNo1」だの「優しい声掛けNo1」だのとチケットを集めて、何枚か集まるとプリンシパルとパーティーが出来るだの、皆の前で表彰されるだの。子供って素直だから、褒められるのが嬉しくて頑張るんでしょうれど・・・
そもそも、プライズがなくても、同じ行動が出来る子に育っていかないといけないわけで・・・。じゃあ、日本の学校では、プライズがないのに、「クラスのため」「人のため」の行動ができるようになるのはなぜなのかな?と思うと、それが、日本社会にある「他人の目を気にする」ということだったり、「人に迷惑をかけちゃいけない」か、古くは「お天道様が見ている」という家庭教育が根本なのかなと思いました。
この島国の特徴が、ともすれば、同調圧力にもつながっていくわけですが、少なくとも、子供たちが、強要されるわけでも、ご褒美がもらえるわけでもないのに、人のために動けるのは、こういう昔ながらの日本の感覚が関係あるのではないのかな?と感じました。
ただ、時代で教育も変わってきていますし、そういう日本社会の特性が悪く捉えられている部分もありますから、今後も徐々に変わっていくと思います。となると、逆に、別の形で「人のために動くこと」を促す教育を入れていかないといけないのではないかと感じました。
ちなみに、個人的には、この真面目さの延長線上にあるのが、監視する人がいなくても仕事をさぼらなかったり、お客さんがいないときにもバイトさんが携帯を見ていないなどの、「バカ真面目」とも言われる日本の労働者の姿なのかなぁなんて考えてみたりします。
まあ、そんなこんなで、アメリカ文化に浸って育つ子供たちですが、いずれ日本に帰る身としては、プライズがなくても、あるべき姿を追求できる姿勢を家庭で育てておかないとなと思います。
4.全体主義と個人主義
アメリカで学校に通わせていると、個人主義が前面に出ています。でも、一方で、社会全体で、すごくダイレクトに「団結」や「連帯」って言葉も使うと思うんですね。日本では、過去の反省もあって、これらの言葉が出てきたら、問題視すらされることもあると思います。ちなみに、当然ながら、中国でもこれらの単語は頻繁に使われおり、日本人は漢字で書かれているし、慣れるまで「うわっ」って思ったりします。でも、アメリカで使われていると、皆何とも思わずに普通に受け入れている、よくある話です。英語だからでしょうかね??
こんな社会を見ながら、やはり、社会って、全体主義と個人主義のバランスで、いくら個人主義が徹底しているといっても、逆に不足する団結の部分を意識するイベントがあったり、活動があったりするんだなということです。
今、日本の教育でも、個人主義をもっと導入していこうとしていると思いますが、やはり、先ほどの「人に迷惑をかけない」という意識の話と同様、個人主義を導入すると同時に、入れなければならない、全体を見ることを説く教育があるのだろうなと感じます。
と、その辺りを理解するにはまだちょっと小さすぎる子供達ですが、娘なんかは、アメリカの学校=何でも自由とは思っておらず結構先生たちが絶対的だと感じているようなのでまだいいかなと思いますが、下の子は、全くその辺りの理解はないので、日本に帰ったらちょっと大変かなと感じます。